根をはる

押してだめなら引いてみろ、とよく言います。

物事に働きかける時、確かに押すばかりが方法ではなくて、

引かなければ開かないドアもあるはずです。

ところが、押すでもなく引くでもない働きかけ方もあるのだと

いうことを、この本から知るのです。

 

「からくりからくさ」(梨木香歩著 新潮社、2001年)。

祖母が残した古い家に、孫娘の蓉子と3人の下宿人が住んでいます。

各自個性はバラバラですが、一緒に生活するうちに、お互いに不思議な

連帯感が生まれていきます。

彼女たちが遭遇する出来事や事件は、ドラマチックなのですが、

全体としては穏やかな優しい印象の残る物語です。

 

寝て、起きて、料理を作って、食べて、洗濯をして

ごくありふれた、平凡な毎日ですが、忙しい時や、疲れている時には、

ついサボりたくなるものです。

今日のごはんはインスタントでいいや、とか、

仕事のためにちょっとくらい無理して徹夜しよう、とか。

そういう省略が、必要な時も確実にあります。

しかし、良かれと思ったショートカットが健康や生活の質を下げ、

長期的には能率が落ちることにつながるのは、ご存じの通りです。

 

少なくとも物語において、彼女たちを困難から救うのはこの面倒な

日常の手続きなのです。

糸を紡ぎ、染め、織り、摘んできた庭の草花を菜に食卓を囲むつつましい

生活の中で、彼女たちは目に見えない力を蓄えていきます。

 

これが端的に表れるのは物語の後半、下宿人の紀久がある交渉をするシーン

だと思います。

紀久の立ち向かい方はまさに、根をはる強さ、という感じがします。

決して押し通すのではない、かといって引っ込めてしまうのでもない。

日常を生き抜く中で培ってきた冷静で堅実な力が、ドアを開く時。

とても好きなシーンです。

 

わたしは彼女たちのような立派な生活は送っていないけれど、日常を

丁寧に紡ぐことの大切さは教わったような気がします。

何か見失いそうになった時に勇気をもらえる一冊です。

ぜひご一読くださいませ。