灯りの多い街中でも、流星群の夜には空を滑る光の粒を捉えることが
できます。子どもの頃、自宅のベランダで、瞬きするのも惜しいような
気持ちで空を見上げていました。
ところで、流れ星は作れるらしい。
確かに、流星は「宇宙の塵」だというのだから、この塵を人の手で
放ってやって大気の摩擦で燃やせば、人工的に流星を降らせることが
可能なんだそうです
(現実には、そう簡単ではないと思います)。
おもしろいことだなあと思います。
何がといえば、流れ星を作ろうとしたこと自体がです。
「流れ星を作る仕事」という言葉の持つ響きと相まって、どうしても作りたい、
という作り手としての欲求に、ロマンを感じるからです。
プロジェクトに関係のない人にも「作る」ことへの可能性や魅力を感じさせ、
いつの間にかその熱に巻き込んでいくような力があると思うのです。
実際に人工流れ星が完成したとして、これを眺めることには、さほど
魅力を感じません。
心のどこかで「これは偽物だ」という思いがよぎらないでしょうか。
正直、流れ星を作ろうとしたことが主役で、その成果物にあまり価値は
ない気がするのです。
おまけ付きのお菓子が、いつしか消費者にとっておまけの方がメインに
なってしまうのと似ています。
そう言いつつ、いずれはわたしも都会の真ん中で大流星群が
降り注ぐ様を、楽しんで見るようになるのかもしれないな、とも
思います。
やはり魅力は可能性にあるのかもしれません。
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